「傘ほど進化を怠っている種族はいないと思うんだ」眉毛を釣り上げながら山田は高らかに言った。

「なにが」

「だってそう思うだろう? 太古の昔から人類を苦しめている雨を防ぐことはどんなことよりも優先順位は高いはずなんだ」

「そんなことないと思うけど」

そんなことあるんだよ、と山田は目の前のスパゲッティにフォークを絡ませ口に運ぶ。

大学の学食はまだ一限終わりということもあって僕たち以外に人の姿はほとんどない。今日の二限の講義が休講になったことと、広い食堂を貸し切り状態でいることにテンションが上がっているのか、山田の声がいつもより大きい気がする。

「大体ね、お前は傘がいつからあるか知ってるのか?」フォークをこちらに向けて山田は言った。

「いや知らないけど」と僕が答えると、これだからお前はダメなんだ、と山田は息をもらしながら、またスパゲッティを口に運ぶ。

「四千年前だ。四千年前からほとんど形は変わっていない。そんなの他にあるか?」

「……愛の形とかかな」とわざととぼけてみるが「それこそ一番変化してきたものじゃないか」と一蹴されてしまった。

「この数年で世界はものすごい進化をしているだろ? アイフォンやらインターネットやら。それは大変素晴らしいことだが、一方で進化を怠っているものもあることもまた事実だ」

「まあそうかもしれないけど」

「つまりだ。俺のバッグが雨に濡れて、中に入っていたお前の教科書がずぶ濡れになってしまったのも、全ては傘の怠慢なわけだよ」そう言うと、横の椅子に置いてあった山田のバックから、無残な姿になった僕の教科書が出てきた。

「……これが、傘のせいだと?」湿った教科書を持つとずっしりと重い。「理論が飛躍しているように思えるけど」

「そんなことないさ。まったく忌々しいことだよ。我が親友の教科書が傘の怠慢のせいでこんなことになってしまうなんて」口についたソースをぬぐいながら山田は答えた。「そもそも登校する時間帯に降り出すこともないだろうに。アイフォンの天気アプリでも雨なんて言ってなかったぞ」

「アイフォンの天気アプリが全くあてにならないのは常識だよ」

「じゃあさっきの発言は取り消しだ。アイフォンも進化を怠っている」

ペラペラと教科書のページをめくってみる。赤のボールペンで書き込んだ字が滲んでしまっていて、思わずため息がもれる。

「ため息が出るのもわかるぞ。人類の進化がいかに遅いかを実感してしまうよな」

「そうだな。で、最後に言いたいことはあるか?」

「ごめんなさい」

「アイフォンと傘にもな」

濡れた教科書を自分のバックに入れ、ふと窓の外を見るが、まだ雨があがる気配はなさそうに見えた。

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