人参
「人参ほど過大評価されすぎた食べ物ってないと思うんだ」腕を組みながら、ため息を漏らすように山田は言った。
「人参に謝れ」
「いやだって考えてもみろよ。あれそんな美味いか? 美味くないだろ。それなのにこんなに世間に浸透しているのはどうにも納得がいかないんだよ」
大学の講義中だというのに山田は教科書も筆記用具も出さずに、真面目にノートをとっている僕にペラペラと話しかけてくる。そしてテスト前になるとノートを見してくれと平然と言ってくるのでたちが悪い。
「それはお前が単純に人参が嫌いなだけだろ」
「ああ嫌いだ。あの『私って野菜の中でもかなり有名で人気が高くてこの世になくてはならない存在ざますのよ』とでもいうような顔つきでスーパーの野菜売り場にドンと構えている姿が大嫌いだ」
「お前は人参に親でも殺されたのか」そして山田の中で人参のイメージが高貴なおばさんであることにもツッコミたくなるがそこは黙っておく。
「じゃあお前は人参がメインで使われている料理を知っているか?」
「はあ? そりゃあ、カレーとか肉じゃがとか……」
「はいはい、出ました。カレーと肉じゃが。完全に人参が張り巡らせた策に踊らされてやがる」
「何を言ってるんだお前は」
「人参がこんなにも有名なのはそのカレーと肉じゃがという料理界のプリンスたちによる手助けのおかげなんだ。あと馬。馬の餌というイメージにも助けられている。このカレー、肉じゃが、馬という世間から認められた三銃士にへばりついているだけの大したことないやつなんだよ」
次第に鼻息が荒くなり始めた山田はさらに続ける。
「そして別にカレーと肉じゃがは人参がメインではない。カレーはルーがメインだし肉じゃがは肉とじゃがいもがメインだ。別に人参が入っていなくても成立するんだ。それなのにカレーと肉じゃがの姿をイメージしたときには必ず人参のオレンジ色が入ってくる。我々はいつの間にかカレーと肉じゃがには人参が必要不可欠であり入っているのが当たり前だと錯覚してしまっているんだ。これは人参の陰謀に違いない!」
「考えすぎを極めるとこうなってしまうんだな」なんだか悲しくなってくるが、山田は止まらない。
「俺は考えた。なぜ人参ごときがカレー様と肉じゃが様に気に入られているのか。昨日結論が出たんだ。それは色だ。あのオレンジ色だ。料理には彩りってのがあるだろ。料理ってのは見た目が重要だからな。あのオレンジ色を料理に加えるだけでなんだか美味しそうに見えてくるというわけだ。赤っぽい色は食欲増進につながるというのはあまりにも有名な話だからな」
「なるほど。じゃあやっぱり人参は優秀なんじゃないか」
「違う! 人参が優秀なんじゃない。たまたまオレンジ色の食べ物が人参しかないというだけだ。人参は食材界において独占をしているわけだ。これは独占禁止法に違反している。人参は立派な犯罪者なんだよ!」
よくもまあここまで弁が立つものだ。独占禁止法なんて久しぶりに聞いた。
「それでもやっぱり見た目が良いというのは立派な才能と言えるんじゃないか? それは人間にも言えることだろ」
「まあ確かに言いたいことはわかる。だから俺はまたさらに考えた。つまり人参よりも美味しくてオレンジ色の食材を開発すればぼろ儲けできるんじゃないかってな。そうすればお金にもなるし独占禁止法を犯している哀れな人参も救うことになる。俺は嫌いなやつにも手を差し伸べる優しい人間なのだ。だからこれからオレンジ色の食材を開発するために農学部にでも転部しようと思っているんだが、一緒にやらないか?」
「僕は人参好きだから遠慮しとくよ」
だから人参を救うことにもなるんだって、とまだぶつくさ言っているのを無視して黒板に視線を戻すと、まだノートに写していなかった部分が消されてしまっていた。
「やべ、お前と話してる間に黒板の文字消されちゃったじゃねーか」
「何をやってるんだ! もしかしたらそこにオレンジ色の食材を開発する手がかりが書かれていたかもしれないんだぞ。お前は本当にどうしようもない奴だな」
ぐっと山田に対する殺意をなんとか押し殺して、僕は急いでまだ消されていない黒板の文字をノートに写す作業に入った。
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